ペリーが浦賀に来航した嘉永6(1853)年、江戸の浮世絵界に君臨していたのが「豊国〔国貞〕にかほ(役者絵)、国芳むしゃ(武者絵)、広重めいしょ(名所絵)」と紹介された最大勢力歌川派三羽烏でした。今回ご紹介するのは、この3人の街道絵。広重の名作「東海道五十三次(保永堂版)」から、これを背景に用い宿場にゆかりの歌舞伎の場面を描く国貞の通称「役者東海道」、宿場名からダジャレで画題を連想した国芳の「木曽街道六十九次」まで、多彩な街道絵の世界です。
「街道絵であって、街道絵に非ず」決して単純な風景画では終わらせない、江戸文化を代表する三者三様の魅力を、たっぷりお楽しみ下さい。(出展数約130点)
江戸(八重洲)の定火消同心という下級武士の長男に生れ、両親が亡くなると13才で家督を継ぐ。15才頃歌川豊国の門を叩くも断られ、同門の豊広の弟子となる。役者絵を得意とし、最大派閥であった豊国に師事できなかったことは、逆に風景画という新ジャンルを開拓する素地を作ったともいわれている。天保2(1831)年35才で手掛けた「東都名所」で評判を得、天保4年「東海道五十三次之内(保永堂版)」で一躍トップ絵師となる。生涯20種類以上の東海道シリーズを描き、現在に至るまで、国内外において日本の旅のイメージを象徴する存在となった。
江戸(本所)の渡し船場を経営する家に生れ、14才までに最大派閥・歌川豊国に入門。当初から豊国はその才能を絶賛し、文化4(1807)年、22才で本格デビュー。役者の表情を生き生きととらえ、また粋な女性の姿を巧みに表現し、既に20代で師豊国に次いで人気番付2位の実力者となった。79才で亡くなるまで半世紀以上常に業界のトップスターで、手掛けた作品は、歴代の浮世絵師の中で最も多く1万点とも2万点ともいわれている。その多彩さ、大量さにより、死後芸術的評価が低いものとなっていたが、近年国内外で再評価が進み、現在では「国貞なくして19世紀の浮世絵は語れない」といわれている。
江戸(日本橋)の染物屋の家に生れ、15才で最大派閥・歌川豊国の門に入るも、さほど師の引立ては得られず、兄弟子の家に居候し、北斎や町絵師など他派からも多くを学ぶ。文政10(1827)年頃、水滸伝ブームにのり手掛けた「通俗水滸伝豪傑百八人一個」が評判を呼び、一気に武者絵の第一人者となる。優等生タイプで時代の寵児であった国貞をライバル視しつつ、江戸っ子気質で奇想天外なアイデアに富む国芳は、多彩なジャンルで活躍。なかでも、風刺画や3枚続きのワイドな画面を活かしたダイナミックな構図を考案した。月岡芳年・河鍋暁斎など明治を代表する絵師を輩出し、その系譜は鏑木清方・伊東深水へ続く。
2019年 秋期展 「広重・国芳・国貞の街道絵 ー東海道五十三次からダジャレ旅までー」
会期 令和1年9月14日(土)~11月10日(日)
開館時間 10:00~17:00
休館日 毎週月・火曜日(祝日は開館)
観覧料 大人 500円(400) 高校生・中学生以下無料
( )は10名様以上の団体割引料金
八戸市柏崎1丁目8-29 ☎0178-32-7737
後援/八戸市教育委員会 ㈱デーリー東北新聞社 ㈱東奥日報社
コミュニティラジオ局BeFM