明治後期の浮世絵師と近代日本画界との交流、さらには浮世絵衰退期の絵師・彫師・摺師の新たな活動の場として特筆すべき分野に木版口絵というものがあります。明治20年頃、明治初期からの政治小説や翻訳小説・江戸時代以来の思想や道徳観にとらわれた戯作とは異なる、現代を生きる人々の人情や風俗を生き生きと描く近代文学が生まれました。これらは、活版印刷により大量に生産されますが、その最初のページに折り入れられたのが木版による美しい口絵でした。一時は、「口絵のない小説は売れない」と言われるほど重視され、近代文学の発生時から大正初期までの約30年間大変流行しました。
読者が本を開いたとき最初に目にする鮮やかな色彩の口絵は、その物語の時代設定や主人公のイメージを左右するものであり、作家にとっても重要なものでした。戯作からの脱皮を目指し登場した近代文学に相応しい口絵は、時代にそぐわなくなってきた前近代の様式化された浮世絵風の絵ではなかったため、絵師には日本画家として名をあげている人物が選ばれました。また、浮世絵師でも水野年方に代表されるような近代日本画の画風を主流とする絵師が選ばれ、尾崎紅葉には武内桂舟、泉鏡花には鏑木清方というように名コンビが生まれることもありました。
- 川合玉堂
「文藝倶楽部 第十巻七号」 明治37年 - 久保田米遷
「大海原」 明治27年 - 筒井年峰
「鎗一筋」 明治33年
また、活版印刷機に木版の版木を組み込み機械で刷る新聞小説などの挿絵とは異なり、鮮やかな多色摺りの口絵は彫師だけでなく摺師にも活躍の場を与えました。一方、絵師が輪郭線のみを描き、配色は文字で指定(色さし)していたこれまでの浮世絵と異なり、口絵では輪郭線が版木の数摺られた紙(校合摺り)に、それぞれ必要な色を塗ったもの(差し上げ)を見本として摺られるようになりました。これにより浮世絵を描いたことのない画家でも制作できるようになった一方、彫師や摺師に許されていた制作上の自由度を減らすことにもなりました。絵の中で三者の技と精神が躍動する浮世絵から、この時代最高潮に高められた彫師や摺師の技術は、画家の線や色使いをより忠実に再現することに向けられていきました。
- 参考文献:
- 山田奈々子著「口絵名作物語集」2006年 文生書院
山田奈々子著「木版口絵総覧 明治・大正期の文学作品を中心として」2005年 文生書院
- 渡辺省亭 嘉永4(1851)~大正7(1918)年Open or Close
明治元年に16歳で菊池容斎に入門し、厳しい修行の後独立。明治11年、日本画家としては最初とされる渡仏留学を行う。また、柴田是真に私淑し花鳥画を得意とする。国内外の展覧会などで受賞、弟子も取らず、岡倉天心からの日本美術院への招聘も断るが、水野年方は省亭に学んでいる。肉筆画の他、画譜や口絵でも名を馳せる。
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「安田作兵衛」 明治27年
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三島焦窓 安政3(1856)~昭和3(1928)年
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菊池容斎門下でも特に優れた実力を持ち、フェノロサの勧めで鑑画会に入り東京美術学校の絵画指導教官を頼まれるも、協調性を欠き美術学校や展覧会と距離を置き、弟子も取らなかった。水野年方は、焦窓に日本画を学んでいる。
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「文藝倶楽部 第九巻十一号 虫の音」 明治36年 -
「明治文庫 七編 俄長者」 明治27年
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鈴木華邨 万延1(1860)~大正8(1919)年
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14歳で菊池容斎の高弟・中島享斎に入門、その後鑑画会に入り多くの博覧会や展覧会で受賞。日本画会の設立にも参加した。口絵画家としては、渡辺省亭・三島焦窓と共に先駆的存在で、後進の寺崎広業・梶田半古・富岡永洗などを牽引した。英語の本への口絵も描き、海外でも最も知られた画家であった。
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「桐一葉」 明治29年 -
「狂ひ咲」 明治36年
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梶田半古 明治3(1870)~大正6(1917)年
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若い頃、一時揚州周延の弟子に学んだとされるがほぼ独学で、私淑する鈴木華邨に菊池容斎の「前賢故実」を勧められ、一心に学び展覧会でも活躍。日本青年絵画協会の発起人の一人となり、岡倉天心に心酔、日本美術院では特別賛助員となった。新聞挿絵や口絵でも活躍し、後年は小林古径・前田青邨・奥村土牛など後の画壇を代表する画家を育てる。
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「文藝倶楽部 第六巻九編 唐櫃山」 明治33年 -
「文藝倶楽部 うたたね」 明治39年
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小堀鞆音 元治1(1864)~昭和6(1931)年
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内国絵画共進会の入選を機に本格的に日本画を学び、日本青年絵画協会・日本絵画協会に参加、岡倉天心に認められ東京美術学校助教授、日本美術院創立メンバーなどの他、文展審査員など日本画壇に貢献。有職故実の研究に努め、歴史画を得意とした。弟子に後の歴史画の大家安田靫彦など。
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「文藝倶楽部第四巻二編 西行逢妻」 明治31年 -
「菊と桐」 明治31年
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寺崎広業 慶応2(1866)~大正8(1919)年
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17歳で狩野派、その後四條派・南画を学んだ後、本画を描く他、古画の模写や挿絵の仕事で活躍。日本青年絵画協会や日本絵画協会で活躍し、岡倉天心に認められ東京美術学校の助教授・日本美術院の正員・文展の審査員などを務める。また、東京で最も大きな私塾を開き、多くの日本画家を育てた。
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「日用百科全書 作詞自在」 明治29年 -
「日用百科全書 日常行為法則」 明治32年
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武内桂舟 文久1(1861)~昭和18(1943)年
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狩野派及び月岡芳年の門に入るが、ほぼ独学とされている。尾崎紅葉らが起ち上げた硯友社の社員として多くの挿絵口絵を描き、紅葉とのコンビは人気を博す。明治28年からの「文藝倶楽部」では博文館の絵画部主任も務める。口絵専門画家として、質・量ともに第一人者として活躍する。
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「文藝倶楽部 第五巻十四編 二人やもめ」 明治32年 -
「文藝倶楽部 第四巻十編 衣香扇影」 明治31年
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富岡永洗 元治1(1864)~明治38(1905)年
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18歳で狩野派の小林永濯に入門。日本画家として日本青年絵画協会や日本画会でも活躍。岡倉天心が設立した日本美術院にも特別賛助員として参加。美人画・風俗画・武者絵を得意とし、「風俗画報」や「文藝倶楽部」、新聞の挿絵・口絵で一世を風靡する。また、後進の口絵画家も積極的に育てた。
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「心の闇」 明治27年 -
「乱菊物語」 明治35年
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水野年方 慶応2(1866)~明治41(1908)年
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月岡芳年の一番弟子として芳年と共に「やまと新聞」に多くの挿絵を描く。浮世絵師として活躍する他、日本青年絵画協会・日本絵画協会に参加し、日本美術院設立の際は特別賛助会員として日本画界でも活躍。明治35年小堀鞆音と歴史風俗画会を設立、また渡辺省亭・三島焦窓に花鳥画なども学ぶ。「文藝倶楽部」など口絵でも最も活躍した一人であり、鏑木清方・池田輝方・など多くの画家を育てた。
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「恋慕ながし」 明治33年 -
「春夏秋冬 第二編夏 夕涼み」 明治27年
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鏑木清方 明治11(1878)~昭和47(1972)年
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13歳で水野年方に入門。年方も描いていた父・条野採菊の経営する「やまと新聞」に挿絵を描き始め、その後口絵でも活躍する。特に泉鏡花とのコンビが人気となり、「文藝倶楽部」でも多くの美人画口絵を描いた。明治34年、月岡芳年・水野年方・尾形月耕の門下生を中心とする烏合会で浮世絵の伝統を活かした風俗絵画を追求。後に日本画家として大成するも、晩年まで手元で楽しむ絵画を重視した。門下に、伊東深水・川瀬巴水・寺島紫明など多くの日本画家・版画家がいる。
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「文藝倶楽部 第十一巻七号 そぞろあるき」 明治38年 -
「文藝倶楽部 二十巻四号」 爪紅 大正3年 -
「秘中の秘 前編」 大正2年
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